野中広務さんは、
すでに引退されていますが、
日本の政治のキーマンだったかたです。
その政治姿勢は生い立ちに中に
あるといいます。
野中広務さんの経歴が気になります。
また野中さんを支えた
ご家族についても、
調べてみました。
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野中広務の経歴や生い立ち
野中広務(のなか ひろむ)さんは、
自民党の所属議員でした。
一時は「陰の総理」とも
いわれていたほどの実力者でした。
野中さんの全盛期は、
あんまり好きではなかった政治家です。
少し調べてみると、
「政治家の仕事は戦争を絶対させないこと」
という信念を持っていらしたらしく、
共感できるところが多かったです。
ちゃんとその人の考え方を
聞いてみたり、調べてみないとダメですね。
さて、
野中広務さんの生い立ちです。
野中さんは、
1925年(大正14年)10月20日に
京都府南丹市(旧・園部町)に生まれました。
ご自身で被差別部落の出身だと
おっしゃっています。
幼少期に住んでいた家の近くの山で、
朝鮮からの労働者が働いていて、
仕事のきつさから逃げてくる人も多かったのだそうです。
そういう人たちを、
野中さんの家族は保護していました。
野中さんの政治思想の原点ということでしょうね。
政治家として
政治家としては、
地元の園部町議会議員や
園部町村長を経て、
府政に進出しました。
京都府議会議員を3期務め、
京都府副知事も務めました。
その後
寝たきり高齢者のための施設を作り、
政治家は引退するつもりだったそうです。
ですが、
1983年に衆議院京都2区の補欠選挙に出馬し、
同じ自民党の谷垣禎一さんと一緒に当選しました。
それからがすごいですよね。
自治大臣・国家公安委員会委員長や
内閣官房長官、
自民党幹事長などを歴任しました。
小泉内閣の時には、
小泉純一郎さんの郵政改革に反対し、
小泉さんを指示する人たちと
激しく対立しました。
その当時は、
自民党の古い体質を
小泉さんが打ち破ったと思っていましたが、
もしかしたら、
そうでもなかったのかもしれないですね。
安倍総理の政治姿勢ややり方に対しては、
完全に批判的な立場です。
昔の政治家は、
政治信条が自分の強烈な体験に
裏付けられている方が多くて、
凄みがありますね。
自分と相容れない意見だとしても、
耳を傾ける必要があるなと思いました。
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野中広務の家族:妻や子供
野中広務さんのお父さんは、
保護司だったそうです。
戦争孤児の施設の運営に
携わっていました。
父の仕事に影響されている
部分もあるのだと思いますが、
野中さんは、
社会的に底辺にいる
いわゆる”弱者”に対して
温かい気持ちを持っているそうです。
野中さんの妻は、
すでにお亡くなりになっています。
子供は、
娘さんが1人です。
お孫さんもいるようですが、
詳しいことはわかりませんでした。
政治とは無縁の暮らしをされているようです。
最近の政治家は、
威勢のいいことを言っていても、
人気取りのためで中身が無い人も多いですよね。
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野中広務さんの政治家人生を見ると、
誰が何と言おうと
自分はこれを信じるという
揺るがない信念をもっていることが、
本当にすごいし、
これこそ政治家なのだと思いました。
こんなこと若い時には、
全然思わなかったですけどね。
私も少しは丸い人間になったのかもしれません。
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