朝ドラ『エール』のヒロインは「関内音」。
関内音役は、二階堂ふみさんが演じます。
関内音のモデルは内山金子さんで、のちに、『エール』の主人公・古山裕一のモデルの古関裕而の妻になる女性です。
どんな方だったのでしょうか。
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関内音のモデルの内山金子とはどんな人物?
早速、内山金子さんの経歴をご紹介します。
明治45年(1912)3月6日 | 愛知県豊橋市に生まれる。父・内山安蔵、母・みつの三女
(長兄と6人姉妹の7人兄弟) |
大正13年(1924) | 父・内山安蔵が死去。母が家業を継ぐ |
昭和3年(1928) | 豊橋高等女学校(現・豊橋東高等学校)を卒業 |
昭和3年(1928) | 高校卒業後、女性文芸総合誌「女人芸術」で中部地方委員になる。
またこの時期雑誌編集の手伝いを住み込みで始める。 さらに、声楽の勉強も始める。 |
昭和5年(1930)1月 | 国際作曲コンクールで入賞した古関裕而に手紙を書き交際が始まる |
昭和5年(1930)6月 | 18歳で福島県福島市で古関裕而と結婚 |
昭和5年(1930)秋 | 夫・古関裕而とともに日本コロムビア招きで上京 |
昭和6年(1931) | 古関裕而が専属作曲家となり世田谷区代田に居を構える
また、帝国音楽学校声楽部本科に編入。ベルトラリ能子に師事。声楽の勉強を本格的に始める。 だが、子育てのため中退。 |
昭和7年(1932)1月 | 長女・雅子誕生 |
昭和9年(1934)7月 | 次女・紀子(みちこ)誕生 |
昭和15年(1940) | ディーナ・ノタルジャコモに師事 |
昭和21年(1946)7月 | 長男・正裕誕生 |
昭和33年(1958) | 昭和31年相関の女性のための文芸同人誌「婦人文芸」に参加 |
昭和36年(1961) | 夫・古関裕而と共にヨーロッパ、中近東へ海外旅行 |
昭和40年(1965) | 詩誌「あいなめ」の同人となる |
昭和55年(1980) | 乳がんのため逝去 |
ざっと経歴を見ただけでも、金子さんはとてもエネルギっしゃな方だったことがわかります。
さらに、古関裕而さん、金子さん夫妻の長男の正裕さんのブログでも、金子さんが率直な方だったと紹介されています。
金子さんは、「子供の頃から活発で、お転婆で、音楽と文学が好きで、いつも空想の世界に浸っていた少女」でした。
古関裕而さんは、のんびりとした方だったようなので、古関さんには、金子さんの率直なところや行動的なところがきらきらして見えたのではないでしょうか。
古関裕而さんは、とても金子さんを大事にされていて、おしどり夫婦として有名でした。
ステキなご夫婦ですね。
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エールの関内音はどんな人?
では、NHK朝の連続テレビ小説『エール』のヒロインの関内音は、どんな人だったのでしょうか?
すでにエールの公式サイトができています。(エール公式サイト:https://www.nhk.or.jp/yell/index.html)
そこでは、関内音について次のように説明されています。
豊橋市内で馬具の製造販売を行う関内家の三姉妹、次女の音は、将来はプロの歌手として舞台に立つことを夢見ていた。ある日、福島に住む青年の古山裕一が英国の作曲コンクールに入賞したことを新聞で知り、手紙を送り文通を始める。二人は結婚し、音は本格的に歌を学ぶために音楽大学に入学。夫の才能を誰よりも信じて叱咤(しった)激励し、時代の流れのなかでさまざまな困難に遭遇しながら、自らも歌手になる夢を追い続ける─。
当然ながら、音もまたモデルの内山金子さんのように、活発で前向きな女性として描かれています。
音は、結婚して子育てしてもなお自分の夢も追い続ける自立した考えを持っています。
モデルの古関裕而さんと金子さんは、とても仲睦まじいご夫婦だったので、音と古山裕一も温かい夫婦として描かれるのではないかと思います。
前作『スカーレット』では、主人公の喜美子は夢を叶えるために夫婦に縛られることが辛くなってしまいます。
ですが、音はそうはならないようです。
夢を追う人としては音と喜美子は一緒ですし、喜美子の夫の八郎も、音の夫の裕一も、どちらもとても優しい夫です。
ですが、その妻たちは、それぞれの生き方で、それぞれの幸せを求めているところが、興味深いです。
朝ドラ『エール』の放送開始も楽しみです!
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