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伊部菊雄の経歴や現在は?落としても壊れない丈夫な時計の開発者


伊部菊雄さんは、落としても壊れない丈夫な時計「G-SHOCKの父」と言われています。

G−SHOCKを生み出した伊部菊雄さんの経歴や現在のお仕事について、調べました。

 

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伊部菊雄の経歴

 

伊部菊雄さんが、「G−SHOCK」の開発を始めたのは、1981年のことでした。

 

それから2年間かけて、G−SHOCKを完成させました。

 

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現在もG-SHOCKに関わる仕事をしている伊部さんの経歴は次のとおりです。

 

読み方:いべ きくお
生年月日:1952年生まれ
出身地:新潟県
最終学歴:上智大学理工学部機械工学科

 

1976年にカシオ計算機株式会社に入社した伊部菊雄さんは、カシオ計算機株式会社一筋で、転職はしていません。

 

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伊部菊雄の現在

 

伊部菊雄さんは、2019年7月には、「カシオ計算機株式会社アドバイザリープランナー」として、カシオ計算機の羽村技術センターに在籍していました。

 

2020年5月現在の情報はありませんでしたが、アドバイザー役としては、ずーっと在籍されるのではないかと思います。

 

また、開発のアドバイスだけでなく、「Father of G-SHOCK」として、世界各地で講演したり、発明のワークショップを開いています。

 

日本全国の小学校へも赴いて、発明の楽しさを小学生に教えています。

 

落としても壊れない丈夫な時計G-SHOCK

 

伊部菊雄さんが、G-SHOCKの開発を始めたのは、開発案として「落としても壊れない丈夫な時計」という一行を会社に提出したところから始まりました。

 

これは、とても有名な話で、伊部菊雄さんが推奨するアイディア発想法「10文字25文字法」をして広く知られています。

 

そもそもG−SHOCKを開発したのは、伊部菊雄さんがお父さんから高校の進学祝いにもらった時計を落として壊してしまったという経験をもとにしています。

 

その経験からまず「丈夫で壊れない」という言葉を商品コンセプトとして出しました。

 

そこから、その商品の開発課題を25文字以内で表現していきます。

 

世の中に今までなかったものを生み出すためには、最初にシンプルでぶれない言葉が必要なのだと思いました。

 

もちろん言葉を出しただけでは、商品は生まれません。

 

そこから、伊部菊雄さんの商品開発の苦しみも始まるようですが、それを乗り越えて完成したときの喜びはひとしおでしょうね。

 

G−SHOCKが売れた理由

 

伊部菊雄さんの会心の発明品「G-SHOCK」は、発売当初はなかなか売れませんでした。

 

ですが、アメリカで「アイスホッケー選手が、スティックでG−SHOCKをパックの代わりにシュートする」というCMが流れたことで一気に流れが変わっていきます。

 

そのCMがこちらです。削除されてしまったらすみません。

 

 

このCMが流れると、それほど丈夫なのかとテレビ番組で、「トラックでG−SHOCKをひく」という検証がされました。

 

なんとトラックに轢かれてもG−SHOCKは動き続け、それを機にアメリカで爆発的に売れだしました。

 

日本で売れ始めたのは、逆輸入の形でした。

 

スケートボーダーのファッションとして売れ始めたのです。

 

商品は完成させても売れなければ意味がありませんよね。

 

売れて初めて伊部菊雄さんも肩の荷をおろしたのではないでしょうか。

 

伊部菊雄さんが発明したG−SHOCKは、いまではさまざまなデザイナーとコラボしたり、金無垢のモデルを作ったり人気が続いています。

 

 

 

「G-SHOCK」1号機は、2019年9月3日に国立科学博物館に未来に引き継ぐべき「重要科学技術史資料」(未来技術遺産)の一つに選ばれました。

 

そんな偉業を成し遂げ開発者として現在もかっこいい伊部菊雄さんですが、埼玉県飯能のご自宅で野菜を作ったりしてゆっくり過ごすのが好きだそうです。

 

ゆったりした時間が、伊部菊雄さんの発明の源なのではないかと思いました。

 

伊部菊雄さんやG−SHOCKの新しい展開を気にしていきたいと思います。

 

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