井桁良樹さんは、
中華の四川料理のシェフです。
NHK朝の情報番組『あさイチ!』の
「スーパー3シェフネオ」でもお馴染みでした。
もの静かで、
穏やかなたたずまいの方ですよね。
井桁良樹さんの店の名前は、
「老四川 飄香」(ラオシセン ピャオシャン)です。
憧れの店です!
井桁さん自身も、
とてもステキな方なので、
経歴など調べてしまいました。
また料理人としてのスタートとも言える
調理学校も調べてしまいました!
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井桁良樹の経歴や調理学校
井桁良樹さんは、1971年に生まれました。
出身地は千葉県です。
井桁さんは小さいときから、
料理番組を見るのが好きだったそうです。
小学校4年生の時には、
学校の文集に将来の夢を
「野球選手かコック」
と書いていました。
生まれながらの才能って、
やっぱりあるのですね。
<料理人人生のスタート>
高校に入学すると、
中華料理屋さんで
バイトを始めました。
その店で
まかないで出されたホイコウロウが、
井桁さんが中華を目指すきっかけとなりました。
甘味噌の炒め物なのに、
深い味わいだったそうです。
そのお店はどこなのかはわかりませんでした。
そして、
満を持して
高校を卒業後、
「千葉調理師専門学校」
に進学します。
<働き始めと転機>
調理学校で学んだ期間は、
1年間でした。
そんな中、
講師で来ていた斎藤文夫さんのお店で、
8年間働きました。
斎藤文夫さんは四川飯店で修行し、
ご自分のお店を出された
中華の名人だったそうです。
残念ながら、
斎藤文夫さんのお店については、
見つけることが出来ませんでした。
さて、
斎藤文夫さんのお店で働いている間に、
どうしても働きたい店があり、
斎藤さんのお店を辞めることにしました。
その時に斎藤さんは、
井桁さんの行きたいお店に
紹介状まで書いてくれたそうです。
井桁さんが行きたかった店は、
柏市にある「知味斎」でした。
この店は、
店で使う野菜を自分の畑で作っていました。
また、
中国人の料理人も大勢いました。
そこに惹かれたそうです。
参考⇒ 知味斎:公式サイト
『知味斎』で前菜をまかされたため、
メニューを作るために、
中国料理の専門書を読んだり、
より勉強するように勉強するようになりました。
そこで本物の中華料理を作りたいと考えるようになってきました。
そして、中国へ料理の勉強に行きます。
2000年、29歳のときでした。
<中国修行時代>
1年間は上海で働き、
次の1年は四川省成都にある「四川料理店」で修業しました。
この修行の時に、
井桁さんはお金を払って教えてもらっていたそうです。
お給料は一切もらいませんでした。
すごいですよね。
学ぶのだという
目的がはっきりしていると思います。
働くのではなく学ぶ・・
なので、
お金がなくなり日本に戻ることになりました。
300万円持っていったそうですが、
残7万円になってしまったそうです。
<人気店へ>
日本に戻ったあとは、
自分のお店を開くために、
ホテルで働き、
バイトまでしてお金を貯めました。
そして、
2005年4月に代々木上原に
「老四川 飄香」(ラオシセン ピャオシャン)
を開業!
瞬く間に人気店になりました。
現在は、
麻布十番と銀座三越にお店があります〜
中国料理にかける並々ならぬ情熱が、
実を結んだということですよね。
真摯な姿勢に、
ただ感動するばかりです!
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井桁良樹のお店
前述していますが、井桁良樹さんお店は、麻布十番と銀座三越の12階にあります。
それぞれリンクを貼っておきます。
ネット上で予約もできるようなので、便利ですね。
ランチは1500円〜あるようなので、
これならうちでも手が届くかな・・と思いました。
● 老四川 飄香 麻布十番本店
(ラオシセン ピャオシャン)
● 中國菜 老四川 ピャオシャン
(チュウゴクサイ ラオシセン ピャオシャン)
⇒ https://www.ginzadining.com/restaurant/detail/piao-xiang/index.html
どちらも井桁さんの想いが詰まったお店です。
ぜひ行ってみたいです!
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