中坊公平さんは、弁護士です。
豊田商事の被害者管財人や
森永ヒ素ミルク中毒事件の
被害者弁護団の団長を務めるなど、
日本を震撼させた事件に関わりました。
中坊さんを調べると、
お孫さんのその後や現在が
調べられているのがわかりました。
何があったのでしょうか?
また、
息子さんや中坊さん自身の経歴も
調べてみます。
スポンサーリンク
中坊公平の経歴
中坊公平(なかぼう こうへい)さんは、
1929年8月2日に
京都府京都市に生まれました。
お父さんは小学校の先生から弁護士に転身した方でした。
お母さんも小学校の先生でした。
とても裕福で、
自分の為の女中さんがいたほどでした。
中坊さんは、
よく自分は子供の頃、
ひ弱な子だったとおっしゃっていました。
1942年 同志社中学入学
1948年 同志社大学(新制)入学
1949年 同志社外事専門学校編入
1953年 京都大学法学部卒業。
戦時中は、学徒動員で工場で働いていたそうです
1954年に24歳で司法試験に合格します。
ですが、遊びほうけていて、給料もすべて遊びに使ってました。
こういったことも、中坊さんはおもしろおかしくお話しになってました。
中坊さんが出演される番組は、見るのが楽しみでした。
1973年からは心を入れ替えたのか、
森永ヒ素ミルク中毒事件の弁護団長や
豊田商事の破産管財人など、
日本をゆるがすような事件に関わっていきます。
宇都宮健二さんは、
中坊さんと弁護団で一緒に働いていたこともあります。
中坊さんが引退したのは、
2005年のことでした。
住専問題で
破綻した金融機関の処理を行う
会社として発足した
「整理回収機構」で、
詐欺的なことを行ったということで、
弁護士を廃業することとなりました。
のちのち
「中坊さんは人たらし」
と言っていたので、
中坊さんのファンだった私は、
ショックを受けました。
本当のところはどうだったのでしょうか?
中坊さんは、
2013年5月3日に亡くなられました。
悲しかったです。
スポンサーリンク
中坊公平の孫のその後と現在
中坊さんには、弁護士になった息子さんがいます。
話題になっている孫とは、
中坊さんの長女のお子さんです。
2006年8月に
中学1年生の息子が、
母親を斬りつけると言う事件がありました。
この母親が、
中坊さんの娘さんでした。
中学1年の少年は、
中坊さんのお孫さんでした。
親から期待されたり、
やりたいことを止められたり、
自分の思うとおりにいかないことが
つもりに積もってしまったのかなと思います。
現在は24歳なので、
大学を卒業して、
社会人になっているかもしれません。
医者を目指していたとのことなので、
その後
気持ちを新たにして、
勉強に打ち込んでいたのではないかと思います。
成績は優秀だったようですし。
現在は
研修医をしている可能性もありますね。
祖父が有名人だったことで、
大きなニュースになってしまったようですが、
その後なにも報道がないです。
真面目に生活していると思います。
スポンサーリンク