野口二郎さんは、
太平洋戦争前から活躍していた
プロ野球選手です。
野口二郎さんには、
3人の兄弟がいます。
四兄弟全員が、
プロ野球選手として活躍しました!
父親や母親は、
どのような方だったのでしょうか?
家族が気になります。
また高校や大学、
プロの球団も知りたいです。
野口さんは、
すばらしい選手であったにもかかわらず、
一般的に名前が知られていないように思います。
正直なところ知りませんでした。
NHKで放送されるドラマで、
初めて名前を知りました。
スポンサーリンク
野口二郎の経歴や高校大学
野口二郎(のぐち じろう)さんは、
1919年1月6日生まれです。
2007年5月21日に、
88歳で亡くなりました。
愛知県名古屋市の出身です。
高校は、
中京商業学校で、
現在の中京大学附属中京高等学校です。
中京大学付属中京高等学校は、
浅間真央さんや
宇野昌磨さんの出身校です。
中京商業学校時代の
1937年夏と1938年春の甲子園大会で、
野口二郎さんは投手として優勝しています。
1938年春の甲子園は、
4試合連続完封勝利、
そのうち1試合はノーヒットノーランという
選抜大会記録を作りました!
中京商業学校卒業後、
野口二郎さんは、
法政大学に進みますが、
中退し、
職業野球選手となります。
そこでも大活躍!
1年目(1939年)に33勝。
2年目(1940年)も33勝。
防御率0.93で最優秀防御率を獲得
1942年5月24日に
延長28回を344球で先発完投しました。
ちなみに、
相手チームの投手の西沢道夫さんも
完投したそうです。
これが、
NHKのドラマ
『1942年のプレイボール』の中の
試合ですね。
1943年に徴兵されます。
戦後
戦後1946年にプロ野球に復帰。
ですが、
徐々に投手としてより、
打者として活躍するようになりました。
1953年に引退。
引退後は、
一軍コーチや二軍監督を務めました。
もの静かな方だったそうです。
スポンサーリンク
野口二郎の兄弟と家族
野口二郎さんは、
8人兄弟だったそうです。
そのうち4人が男子。
四兄弟ですね。
しかも、
4人すべてがプロ野球選手になりました。
野口四兄弟
兄は、
野口明さん。
明さんは、
明治大学を中退して、
プロ野球選手となりました。
投手として活躍していましたが、
1938年から1941年まで兵役につきました。
その後は肩を痛め、
一塁手から捕手として活躍しました。
二郎さんとバッテリーを組んで、
三男の昇さんを討ち取ったこともあったそうです。
四兄弟の中で、
唯一監督を務めました。
次男が二郎さん。
そして、
三男が昇さん。
昇さんもプロ野球選手となりました。
1943年に徴兵され、
1945年にフィリピンで戦死したそうです。
四男は渉(わたる)さんです。
渉さんも1944年に
プロ野球選手になりました。
ですが、
1947年に入団した球団が解散、
リーグも解散してしまいました。
その後は、
球団オーナーの経営する会社に
入社しました。
野口二郎の父母
野口二郎さんの父親は、
父の代から続いた染物屋を
潰してしまったそうです。
なので、
明さんや二郎さんは、
プロ野球選手の道を、
大学を中退して歩むことになったのです。
でも、
仲良し家族だったみたいです。
母親は、
8人の子供を産んでるんですよね。
息子たちに生活を託していることに、
気兼ねもあったのではないかと思います。
それにしても、
四兄弟全員が、
プロ野球選手として
優れた資質を持っていたのですから、
野口家の父母のDNAは、
運動能力に優れたものだったのではないかと思います。
お父さんも、
時代が時代なら、
野球選手として活躍できる
能力があったのかもしれないですね。
ところで、
野口二郎さん自身の子供や妻について
調べてみましたが、
情報は出てきませんでした。
野口二郎さんが
控えめな方だったようなので、
家族のことなどは公にされなかったのではないかと思います。
また、
ご家族もそのような方なのではないでしょうか?
野口二郎の球団
野口二郎が最初に入った球団は、
「東京セネターズ」です。
正力松太郎が、
自身の球団「東京巨人軍」のライバル球団として
発足しました。
セネターは、
上院議員という意味です。
オーナーの有馬頼寧(ありま よりやす)は、
伯爵で、
貴族院議員だったため、
この名前が付けられました。
戦争中に横文字を禁止されていた時には、
「翼軍(つばさぐん)」と言われていました。
その後名古屋金鯱軍(なごやきんこぐん)と合併して、
「大洋軍」となりました。
現在は日本ハムファイターズになっています。
野口二郎さんは、
大洋軍から時代に兵役につきました。
戦後は、
阪急軍に復帰。
引退後は、
現在の千葉ロッテマリーンズの前身
「毎日オリオンズ」や
「阪急」のコーチをしていました。
野口さんは、
投手としての成績も輝かしいですが、
打者としても、
連続試合安打記録を長く保持していました。
1989年に野球殿堂入りしていますが、
名球会には入っていません。
理由は「大正生まれ」だから!!
野口さんの投手としての成績を見ると、
入れて当然なので、
生まれた年で入れないと言うのは、
ちょっと納得できません。。
野口二郎さんは、
気にしないかもしれないですけども。。
スポンサーリンク